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2012-01-08

本年も何卒宜しくお願いいたします。

皆様、明けましておめでとうございます。

2008年1月8日に設立された、私達、ステテコ研究所|steteco.com も

本日で無事 5年目のこの日を迎えることができました。

この4年間、ご愛顧いただいている皆様のお陰様で私達は活動を続けてこられました。

また、時に応援のお声も掛けていただき、本当に励まされました。

厚かましいことを言うようですが、皆様と一緒に「ステテコ文化の復旧と新たなる創造」に

取り組んできたのだと私達は思っております。

この場をお借りしまして、心より、厚く御礼申し上げます。

 

steteco.comの商品は全てMade in Japan 。

日本が少しでも元気に、また、心地良い国になるよう、

本年も日本の風土に根差した、より良い商品作りを目指してまいります。

引き続きご愛顧の程、どうぞ宜しくお願いいたします。

(ステテコ研究所 steteco.com一同より)

                              syocho.jpg

 

2011-12-03

2011 AW Momo-hiki Collection galleryページを公開!

12月に入って急激に寒くなってきましたね。

体調を崩さぬよう、暖かくして過ごしたいですね。

そんな寒い季節におすすめしたい、ステテコ研究所が新しく提案する、

「Momo-hiki Collectio」のギャラリーページが出来ました!

intro1_A_1202.jpg

 

【2011 AW Momo-hiki Collection galleryページ】

http://www.steteco.com/art_center/img_11w/col_0.html

 

ふんわりと優しく暖かなモモヒキや、ニットウェア

これから入荷する商品も含め、ご紹介しております。

ぜひご覧になってみてください!

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「肌ざわりがクセになる」とのお声もいただいております、Soft Pileの新商品も入荷いたしました!!

下記のショップでお買い求めいただけますので

ぜひチェックしてみてくださいませ!

steteco.com online shop

・steteco.com TOKYO LABO エキュート東京店

steteco.com OSAKA LABO ルクア大阪店

intro3_A_1202.jpg

Soft Pile

 

 

2011-04-01

【4月からの活動をスタートするに際して】

この度の東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた方々に、心よりお見舞い申し上げます。また、被災地で救援活動にご尽力されている方々の安全を心からお祈り申し上げます。

steteco.comオンラインショップでは当面の間、お届け先が青森・岩手・宮城・福島・茨城の5県のお客様に関してはお買い物金額に関わらず送料を無料とさせていただきます。

引き続き、微力ながら、私達に出来ることは何かということを考えながら活動していく所存です。

                                                        steteco.com一同

 

2010-11-22

冬ステテコ発売間近に強がる所長

世間ではもうすっかり師走めいてきたというのに、ステテコ研究所が今秋冬に投入すべく開発した冬ステテコ "Momo-hiki(モモヒキ)"の投入が遅れている。

そんな中、ようやく、第一弾のSOFT PILEシリーズを11月24日(水)からオンラインショップにて発売開始できる目処がたった。 

商品は極上の触り心地。 この着心地は是非 皆様にも味わっていただきたい。 しかし、明らかにこの時期の新商品投入とは、世間一般の動きと比べると遅すぎる。

研究所内に所長のスケジュール管理能力を疑問視する空気が広がりつつあることを感じつつも、「日本の冬はまだこれからじゃないかぁ!!」と 一人強がる所長であった。 (続)

 

 

 

2010-01-08

vol.18 設立記念日

皆様、明けましておめでとうございます。

本日 1月8日は何を隠そう、ステテコ研究所・steteco.comの

設立記念日です。

2年前のこの日にWEB上に産声を上げてから今日までの道のりは

決して平坦ではなかったものの皆々様のお力添えで、今回も無事に

年を越し、2周年を迎えることができました。

この場をお借りして、心より御礼申し上げます。

そして、本年もどうぞ宜しくお願いいたします!

(ステテコ研究所 steteco.com一同より)

 

 

 

 

 

 

2009-12-26

vol.17 所長、今年を振返り始める(2)

まさに師走である。 
連休を控え、研究所内は慌しく時間が過ぎていた。そんな中、ただ一人、
相変わらず黙々と今年を振返り続けている所長であった。
彼は今ちょうど、今年頂いた「所長直通メール」のメッセージを振返って
いるところであった。

(以下、いただいたメッセージの中から一部抜粋させていただきます)

ニックネーム・大神さんからいただいたメッセージ
"30までカウントダウン中のものです、着物を着るようになってから
ステテコに興味が出てきています。以前から見ていたのですが
着物で使うには微妙なプリント柄のもののみでしたので
買えないなぁと思っていましが、「Steteco (LUXSIC)」が出てくれたので
試してみようと思います。(中略)
洋装など現在一般的に馴染のある様式に向けたものを提案されている
ようですが、和服を着るものもステテコ研究所に期待しているよ。と伝え
たかったのでコメントさせていただきます。"


所長 「上記にてあえて中略させていただいた部分での専門的なアドバイスも
     いただきまして有難うございました!本当に参考になります!大神さん
    のような着物を着られる方にもご支持いただけるように、これからも頑張
    っていきます!」

ニックネーム・けけらら さんからいただいたメッセージ
"ステテコを26年間バカにしてました!でもstetecoに出会って人生
変わりました!ステテコはダサくてオッサンだけが身につける下着
じゃなぃです。他の下着では味わえない最高の下着です!むしろ僕の
中では下着を超えた最高のファッションアイテムだと思ってます!
これからもステテコを愛用していきます!"


所長 「けけららさん、熱いコメント、有難うございます!
    そこまで言っていただけるとは、本当に感激してしまいました!!
    けけららさんに来年も再来年も気に入っていただけるよう、
    これからも頑張っていきますので、今後とも宜しくお願い致します!」
                                         (続)
    
     

2009-12-01

vol.16 所長、今年を振返り始める。

12月。ステテコ研究所 steteco.comにもやはり冬は訪れていた。
「冬にもはけるステテコを」というお客様からの有り難いご要望に
お応えすべく、試作を進めていたサーマル素材のロングタイツ
steteco.comにとって初めてとなる冬向け商品の発売を前にし、
研究所内では藤間袴(とうまはかま←※開発日誌diary vol.3
ご参照)が慌しく準備作業を進めていた。

そんな中、机で微動だにせず、一人、目を閉じ座っているだけの
男がいた。ステテコ研究所、所長である。

そう、彼は早くも今年を振返りはじめていたのであった。

                                   (続)

2009-06-29

vol15.青木英夫先生との対談(3)

(以下 青木先生=青木  所長=所長)


所長: では、風俗史的見地にたったステテコの進化というのはどのような

    ものなのでしょうか?

青木: ステテコの源流ともいえる1枚の布を紐で結び合わせる形態の股引

    は室町時代頃からみられます。江戸時代頃までの股引は下着兼

    アウターという存在。やがて明治時代になり、西洋の文化が日本に

    入りだしてきてから日本の下着も大きく進化していきます。

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所長: ステテコの進化においても洋装の影響は受けているということで

    しょうか?


青木: その通りです。股引が洋装の影響を受けズボン風に進化したのが

    "ステテコ"と言えます。


所長: つまり、ステテコは元々日本にあったものが明治時代に西洋文化と

    融合して日本でオリジナルに進化を遂げたものと言えるわけですね。


青木: そうです。明治15年に井上馨によって鹿鳴館が建てられ洋装文化が

    積極的に取り入れられた頃、洋装の下着も入ってきたのですが、

    一般の人にはあまり普及しませんでした。同じように洋装の影響を

    受け、日本でオリジナルに進化したステテコも当初はあまり

    普及していませんでしたが、その普及に一役買ったのが落語です。

    落語家・三遊亭円遊が裾を尻からげにして半モモヒキを見せながら

    「ステテコ云々」と歌いながら踊る芸が当時人気を博したことで

    明治時代末期より庶民にもステテコは流行し普及していったと

    考えられます。


所長: なるほど、ステテコの進化には洋装文化が関わり、その普及には

    日本独特の文化の落語が関わっているんですね。先生、非常に

    面白いお話有難うございます。それでは、いよいよ問題の核心について

    お尋ねいたしますが、『パンツを穿かずにステテコを直接穿くのが正解

    なのか?それともパンツの上にステテコを穿くのが正解なのか?』

    この問題について、ズバリ先生はどちらが正しい思われますか??


青木: あくまで、「風俗史学的なステテコの流れから」といった観点で

    お答えさせていただきますと、ステテコも、またその源流である

    股引も、一般的にはあくまでフンドシやサルマタの上に着用されて

    きました。だから、やはり、そのフンドシやサルマタが現代では

    トランクスやボクサーブリーフといったパンツに代わられていること

    から考えると、パンツの上にステテコを穿くのが正統派ということに

    なるのではなかろうかと思います。


所長: 先生、ありがとうございます!


------  『パンツを穿かずにステテコを直接穿くのが正解なのか?それとも

    パンツの上にステテコを穿くのが正解なのか?』 

ステテコ研究所への帰路。物議を醸し出したこの深遠なる問題に対し、一定の

答えをようやく手にすることが出来た所長の足取りは軽かった。 

                                          (続) 


2009-05-11

vol14.青木英夫先生との対談(2)

(以下 青木先生=青木  所長=所長)

青木  早速ですが、今日はステテコのことで何か相談したいことがあるとの
     ことでしたが

所長  そうなんです。実は『パンツを穿かずにステテコを直接穿くのが正解
     なのか?それともパンツの上にステテコを穿くのが正解なのか?』
     ということで、ここしばらく研究所内でもめていまして。。

青木  なるほど。ステテコの着用方法でもめておられるのですか。

所長   もちろん、「個人の自由」と言ってしまえばそれまでの問題ではあると
     も思うのですが、それにしても私自身、「本来はこうだ」ということをキッ
     パリ言えないことに不甲斐なさを感じておりまして。。そこで青木先生
     に風俗史学的な見地からこの問題について「本来はこうだ」ということ
     を出来ればご教授いただきたくて、、

青木  なるほど。そういうことですか。

R0011905web2.jpg

青木  ところで、所長さんは例えば、江戸時代までの銭湯は男女混浴だっ
     たということはご存知ですか?

所長  え、そうなんですか!

青木  そうなんです。男女混浴だった為、男性の武士階級は浴衣(ゆかた)、 
     一般階級は風呂フンドシを身につけて、女性は腰巻をつけて風呂に
     入っていたんです。

所長  なるほど、ゆかたを漢字で「浴衣」と書くのもその名残ですね。

青木  そして江戸末期頃から次第に別々に入るようになってから、何も身に
     付けずに裸で入浴するようになっていったわけです。このように現代
     では当たり前のようになっていることにも、そのルーツといいますか、
     流れがある。そういう意味では所長さんが悩んでおられる問題に関し
     ても、確かに風俗史がお役に立てるかもしれませんね。 (続)

 

2009-03-30

vol13. 青木英夫先生との対談(1)

民族学博士 青木英夫氏。 上智大学文学部史学科卒業後 東京大学
文学部西洋史学大学院修了。米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校
(UCLA)歴史科大学院卒。 UCLA在学中より服装に関する研究結果を
文化服装学院の依頼により日本へ書き送り、帰国後、文化服装学院に
て「服装史」の講師を7年間務める。その後も民族学博士として文化出版
局の歴史顧問や、NHK等のテレビ出演等、様々な分野で活躍。

研究テリトリーは服装史のみならず、風俗史や生活史といった分野におい
ても日本を代表する研究者の一人であり、出版した著書はこれまで60冊
近くにも及ぶ。その著書の1つ、『下着の文化史』(雄山閣出版)はステテコ
研究所にとってもステテコ史を学ぶ上でのバイブルとなっている。
80歳を超えた今でも日本風俗史学会名誉会員・顧問、ビューティーサイ
エンス学会・名誉会長、国際服飾学会・理事、財団法人日本キモノ文化
協会・副会長 等々、数多くの肩書きを持つ。

今、ステテコ研究所 所長の背後をとっていた人物はまさしくその青木英夫
先生であった。

ホテル内の喫茶スペースに移動し、腰をおろす2人。
やがて注文をとりにきた店員に対し青木氏はホットレモンティーを注文した。
「あ、僕も、ホットレモンティーで」
本当はアイスコーヒーが飲みたかったのだが、既に青木ワールドにひきずり
込まれていた所長であった  (続)

2009-03-04

vol12. 赤坂のホテル

研究所から忽然と姿を消した所長は赤坂のとあるホテルにいた。
緊張した面持ちでロビーを行きかう人々を注意深く凝視する所長。
所長と目が合ってしまった人は、所長のまなざしの鋭さと充血度合い
にほとんどの人が瞬時に目をそむけた。

それほど集中してこれから初めて会う人物とのファーストコンタクトに
備えていた所長であったが、詰めの甘い彼は完全に背後を取られて
いることにまだ気付かなかった。

少しためらいがちに、所長の背後の人物がついに声をかけた。
「あの、、所長さんですよね??」 (続)

2009-02-03

vol.11 忽然と姿を消した所長

すっかりご無沙汰を決め込んでいたステテコ研究所であったが決して解散した
わけではない。むしろ、彼等のどうしようもない野望は、一層、どうしようもないもの
になっていた。 そして相変わらず、彼等はよくモメていた。

『パンツを穿かずにステテコを直接穿くのが正解なのか?それともパンツの上に
ステテコを穿くのが正解なのか?』というのが最近のもっぱらの火種であった。
今回の口論によって研究所内に出来た溝は案外深く、パンツを穿かずにステテコ
を直接穿く派の男性所員の存在が露呈するやいなや、「生理的にそういう人は
無理!」とまで言い出す女性所員も現れる始末であった。

本来であればこういう時、何らかの結論を出し事態を終息に向かわせるのは所長
の役目のはずであったが、ステテコに対する各々のポリシー、いやもっと言えば、
生き様に関わるこの非常に繊細かつデリケートなテーマにどう終止符を打つべきな
のか、彼自身、思い悩む日々が続いていた。 

そんなある日、所長は忽然と研究所から姿を消したのであった。 (続)

 

2008-06-04

vol10.ステテコ in バンコク

光陰矢の如し。研究所が設立した頃はまだ冬の真っ最中であったが、もはや
梅雨の季節である。
しっかりとした計画性は無いものの、熱意先行で設立されたステテコ研究所
であったが、開発した08年春夏コレクションのstetecoは研究所メンバーの予想
を良い意味で裏切り、雑誌等でも紹介して頂くこともあった。また、更に嬉しいこ
とには、stetecoをお買い上げ頂いた方から「良かった!」という感想をいただく
こともあった。

今回、日本の夏を先取りし、駐在先のタイ・バンコク(高温多湿!)にて着用さ
れた際の感想を御自身のブログで書いて下さった方がおられたので紹介させて
いただきます。

「僕に女装の趣味はない。」 そのブログはこんな告白から始まり、そしてやが
て筆者の方がstetecoに魅了されていく様が秀逸な文章力で書き綴られていく。
(以下、駐在先のバンコクに戻られ、初めてstetecoを着用された際の感動部分
を抜粋)

『翌朝、満を持して、出勤の身だしなみを整える。ステテコを履いた上からズボ
ンに足を通したその瞬間、「これだ」と背筋が粟立つほどの感動を得た。
足、特に太ももの感触がこれまでとまったく異なる。ウールが直接皮膚に当たら
ず、さら・さらとした軽やかな綿の生地が触れる。それに、一枚余計にまとってい
るのに、むしろいつもより軽く涼やかである。
しかし、素晴らしさはそれだけではなかった。家に帰って、ズボンを脱いだらその
まま部屋着として利用できる。これまでの一人暮らしのときはあまり気に掛けな
かったけれど、妻の手前あまりだらしない格好をするわけにもいかず、短パンや
ジーンズに履き替えていたのだが、その必要がなくなった。
まだ二回履いただけに過ぎないのだけど、既に手放せない存在となってしまった。
天使のブラというのがあるが、ステテコだって天使の肌着である。太ももに触れる
天上の妙味を知ってしまった後では、もう、ステテコ無しでスーツのズボンを履くこ
となんて考えられない。
だが、当面は2枚しか手持ちがない。毎日洗濯して乾かして履いてすぐ洗濯して
干して......。』
ブログ全文

研究所メンバーにとって、このブログを読んだときの嬉しさは決して忘れられない
ものとなった。(続)

2008-04-22

vol9.池田哲也さんとの対談(4)

(以下  服飾評論家・池田哲也氏=池田 、 所長=所長)

池田  今、セレクトショップなんかでよく見かける、あるイタリアの会社の
     ジーンズがあります。値段は高いですが非常に良く売れています。
     素材は日本製の素材なんですが、はいてみると確かに良い。でも
     同じ素材を使って、真似して他の会社でつくっても全く同じものは
     出来ません。

所長  何故同じものがつくれないんですか?

池田  それは、アズがつくっている「三ツ桃クレープ」も同じでしょう。原材
     料がわかっててつくってるミシンとか工作機械がわかっててもでき
     ないんですよ、これは。そこを勘違いしちゃうケースが多い。
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     イスの発泡ウレタンの話とおなじです。やはりそのプロセスが、つま
     りソフトですよね。それがその従業員の腕であったり感性であったり、
     企業の文化であったり。例えばイタリア製のスーツは縫製が雑だと
     かって言われるけど、でもやっぱり着たら良い。この理由は幾つもあ
     るんですが、その1つを例に挙げると、縫う人の体格一つにしても向
     こうの人はでかいわけです。バッて持ってガッて一気に縫うわけです
     よ。日本は体も小さいし、工場も小さいし、丁寧にチマチマ縫うわけで
     すよ。でチマチマ縫うのと、一気にガッと縫うのでは違うんですよ。
     持ちかえることによって微妙なズレが生じるんです。そのズレは縫い
     目が曲がってるとかそういういことじゃなくて、縫い目の剛性になって
     表れるんです。イタリア製のスーツは縫い目が柔らかく、これがスーツ
     に活きる。微妙に。そういう積み重ねなんです。使っている機械は同じ
     でもちょっとした具体的に眼には見えない数値で表せないそういったこ
     と。それがブランドというものをつくっている。

所長  なるほど。肌着という、人間が素肌に着用するものをつくる立場としては、  
     確かにそういう細かい部分の大切さはよく感じます。

池田  結局モノとか国民性でもだいたい苦しい状況から武器なり特色が生まれ
     ているわけですよ。新潟のコシヒカリだってあんな寒冷地で雪が降ってあっ
     たかい時期が極端に短い場所でどうやってお米作って生き延びようってい
     う必然ですから。もともとはインドの内陸のほうで稲の原生種が生まれて
     伝播しているからそんな寒いところで育つものじゃないわけですよ。でもそ
     れが世界で1番高いお米になっているわけでしょ。だからステテコもこの
     状況がねぇほんとうにチャンスなんですよ。ここから何とかするっていうか。

所長  これからステテコ研究所をやっていくにあたり、非常に勇気づけられました。
     貴重なお話を色々とお聞かせいただき、本当にありがとうございました!!

2008-04-08

vol8.池田哲也さんとの対談(3)

(以下  服飾評論家・池田哲也氏=池田 、 所長=所長)

所長  これからの日本のモノヅクリの方向性について、どうお考えですか?

池田  テレビでも何でも日本の匠だの、日本のテクノロジーだの、自画自賛
     してますけど、日本人が得意なものと不得手なものとやはりモノヅクリで
     もあるので、まずそこはしっかりと認識しておいた方がいいですよね。

所長  例えばどういうものが得意でどういうものが不得手なのですか?

池田  厳密性と均一性が製品の性能として反映されるものは得意ですね。でも
     不完全性が商品の魅力になるものは不得手ですよね。例えばカメラのレ
     ンズ一つとってもクリアーで明るいものをつくるのは日本人は得意です。
     ところが世界で名高いライカ、カールツァイス、ハッセルというのはそういう
     ものではないですから。味があって微妙に曇ってたり、通す色と通さない
     色があったり。例えば車のイスの中に使われる発泡ウレタンという部材が
     日本では上手く生産出来ないんですよ。攪拌や形成といった製造プロセス
     における寝かしだとかという極めてあいまいで数値化しにくいノウハウがあ
     るみたいで。日本の教育が規則性だとか厳密性でものを考える教育になっ
     ていますからね。例えばイスでハーマンミラーって知ってます?

所長  はい、アメリカのメーカーのイスですよね。
 
池田  高いですけどこれはもう、十何時間座っていても背中のはりとか腰の痛みと
     か無いですね。結局 NASAの管制室とかみると全部イスはハーマンミラー
     ですよ。普通のイスでも姿勢を正して座ればそれなりに良いわけなんですが、
     人間ってそんな常にその姿勢を正して座っているわけじゃないじゃないです
     か。その姿勢を崩したときの許容範囲までハーマンミラーはみんな計算して
     あるわけですよ。日本人からみれば「ここまでするのか!こういう考え方をす
     るのか!」という位の開発と投資が1脚の椅子のモノヅクリになされている。
     でもそれが何十年も売れ続けるわけですよ。結局、世界中で評価されている
     モノを見渡すとそういうものばっかりなんですよ。資源も無く、しかもこれから
     人口が減っていく日本が、どうやって世界の列強と伍して自分たち独特のポ
     ジションを築きあげていくか、こういうことを考えた時には今までやってきたこ
     とに加えて、そういうモノヅクリをしていくしかないと思うんです。
                            
                           (次回 「池田哲也さんとの対談(4)」に続く)

2008-03-25

vol7.池田哲也さんとの対談(2)

(以下  服飾評論家・池田哲也氏=池田 、 所長=所長)

所長  ところで、夏のステテコの代表的な素材、「クレープ」というのは池田
     さんからみればどういう魅力がある素材なんですか?

池田  伸縮性があるし、糸の撚りが強いので耐久性もあるしタッチも非常に
     ドライタッチですし。非常に特殊な生地なので世界の高級生地をつくっ
     ているイタリアにもこういう生地はないですからね。日本でそういうもの
     が細々となりつつはあるがまだ残っている。

所長  では、クレープ生地のステテコのこれからの課題というのは?

池田  今 スーツも細身になってるじゃないですか。パンツも。それに対応する
     形で変えていかなければいけないっていうのが課題でしょうねぇ。ただ
     これが本当に難しいところなんですけど、僕の経験から言うとあまり肌に
     ぴったりしてしまうと、あのクレープの機能・快適性って働かないんですよ
     ね。ある程度、こう なんて言うのか、和服的なちょっと肌にあたるぐらい
     のそういう形の方がクレープの良さを活かすには適してますよね。だから
     この素材を用いて細身に削れば成り立つかというとそれは違うんだと思
     う。極めて日本人的な肌と生地との距離感というか、そのレベルまで伝
     統工芸品だと思いますよ。よくも悪くも。
R0011379-3.jpg

所長  そもそも、池田さんとクレープ肌着の出会いはいつだったんですか?

池田  18才の頃ですね。

所長  きっかけってあったんですか?

池田  当時、肌着屋さんでアルバイトしてたんですよ。

所長  え、そうなんですか!

池田  で当時やっぱりカルバンクラインとかジョッキー、その他のアメリカブ
     ランドの肌着を売っていて。そういったのも売るし着てたんですけど、
     当然 日本の肌着じゃないわけじゃないですか。その当時でも自分
     の父親なんかが着ているのはクレープを着てるわけで、一度こういう
     のも着てみないとということで着始めたんですけどね。でやっぱり18、
     19、20歳ぐらいのときに「あーファッショナブルではないけれども日本
     の気候・風土的には間違いなくこっちの方だろうな」とは思いましたよね。
     それに、カルバンクラインとかジョッキーは別として、他のアメリカブランド
     の肌着にいたっては半年で買い換えるようなつくりになってましたから。
     伸びたり縮んだり、穴開いたりで。大量生産、大量消費の流れじゃない
     ですか。20年ちょっと前っていうのはまだ日本にそういう文化風潮が来
     てませんから、だから当然肌着なんかも長持ちしますよね。お国柄の違
     いだし、そういう消費スタイルの違いみたいなのを感じましたよね。

所長  なるほど。それから20年たち、日本のモノヅクリの現場でも、ともす
     れば品質よりも価格・コストの方が優先されがちに最近ではなってき
     ているように思います。

池田  でも今ね、またモノを大切にする時代が徐々に来てるんじゃないかと
     思うんですよ。チノパンが1900円だとかフリースが980円だとかって
     言ってるけどそういう時代でもないんじゃないかと。9800円のチノパン
     でも10年はけて、10年たってほころんできたけど、10年たって素材も
     やわらかくなってきて俺はこのチノパンが大好きでどうしても捨てられな
     い。10年はいて1年あたり980円。9800円で買ったけど、これって安
     いよね ってそういう時代になってくるんじゃないのって。肌着とかでも、
     高くても本当に良いものがあるんですよ。5年10年着て ちょっとすす
     汚れてちょっと他の人には直接は見せられないけどそれでも着たいと
     思わせるものってのが。僕はやっぱりそういう時代になってくると思いま
     すけどね。何となくは気付いているでしょう。もう食べ物でも何でも今まで
     やりたい放題、使いたい放題、余れば捨てるし、そういうのをずっと続け
     てきたわけですよ。でも、石油が1バレル100ドルを越えたとか、繊維の
     天然素材も4割5割普通に値上がりしてきているわけじゃないですか。
     大干ばつでオーストラリアの乳牛がとれなくて、バターが売ってないとか。
     なんとなくやっぱりもう気付かないと。みんなが湯水のように何でもやって
     きちゃったけど、ここらで僕らの今までの生活そのものを考え直さないと、
     と思うんですよ。

               (次回 「服飾評論家・池田哲也さんとの対談(3)」に続く)

2008-03-05

vol6.池田哲也さんとの対談(1)

出会いは多々にして突然に、そして思いがけなく訪れる。

服飾評論家・池田哲也さんは大学卒業後、某大手百貨店に入社。ローマに駐在中
イタリア各地の服飾職人の工房を訪ね歩き見識を深められた。その後、同社を退社
され、現在は服飾評論家としてご活躍中、という経歴をお持ちの方である。

所長にとって非常に幸運だったのは、池田さんが20年来、「三ツ桃クレープ(※)」を
愛用して下さっているということ、そして、雑誌社向けにCOOLBIZ特集の原稿を書く
際にアズにクレープ肌着について問い合わせをしてこられたということである。
(※「三ツ桃クレープ」...日清紡績株式会社のクレープ肌着ブランド。
               昭和39年よりアズが製造総販売元となっている。)

( 以下、池田さん=池田 、所長=所長) 

池田  いきなりですが、ステテコがいわゆる市民権を失ったきっかけは何だと
     思われてますか?何故、売れなくなっちゃったのか??

所長  すいません、わかりません。

池田  では、白いブリーフがちなみに市民権を失ったきっかけはわかりますか?
R0011383.JPG

所長  すいません、やはりわかりません。。

池田  機能的にも優れていて、日本でも一昔前までは普通にみんながはいていた
     アイテムがいつの間にか市民権を失っている。

所長  確かに、そういわれてみればそうですね。不思議です。

池田  同じことがティアドロップ型のサングラスにも言えますよね。今、ヨーロッパでは
     最も旬なサングラスの一つとされていて、昔から僕は好きでいくつも持っている
     んですけど。実際、極めて合理的で、あれを超えるサングラスはなかなか無い。
     もう完璧なんです。フレームの構造的なものも、支えと力の逃がしも。人間工学
     的にかなり究極の形と言えるんですよ。全く昔ながらのカタチでヨーロッパでは
     売れに売れているのに、でも日本では売れない。
     
所長  ステテコ、白いブリーフ、ティアドロップ型のサングラスに共通して言えること。
     も、もしかして!!

池田  そう、日本においてこれら3つに共通して言えるのは、ある時点からお笑い芸人    
     のユニフォームと化してしまったということなんです。

所長  なるほど。でもティアドロップ型サングラスとかは、お洒落な人、最先端な人
     が取り入れたらまた状況が変わってくる可能性あるんじゃないですか??

池田  いやぁ、あの吉本芸人のふんどし姿にサングラスは強烈ですからねぇ(笑)
     やっぱりなかなか逃れられないですよねぇ。そういうケースってすごく多いん
     ですよ。白いブリーフだって理にかなっているし、実際、はいてみると快適じゃ
     ないですか。ボクサーブリーフとかはやっぱり夏場は暑かったりだとか、 
     型紙的に欧米人に比べて日本人にはあまり合わなかったりするんですよ。
     でもやっぱり、白いブリーフには戻らないですよねぇ。欧米では有名ブランドも
     アイテムの1つとして出していて普通に愛用している人もいて、決して白い
     ブリーフが恥ずかしいものだとかってイメージが向こうにはない。でも、日本
     だったら若い旦那さんとか彼氏が白いブリーフをはいていたら泣くでしょう。
     
所長  確かにびっくりしますよねぇ。何があったんだろう、この人にって(笑)
      それにしても、白いブリーフはともかく、ステテコに関しては、以前は下着とし
      てだけではなく、「ブラッとご近所まで」の1マイルウェア的な市民権も持って
      いたにも関わらず。。

池田   まぁ、僕が住んでる界隈では今でもたまにステテコ姿で歩いている人を見か
      けますけどね(笑)

所長   どこまで出来るかはわかりませんが、徐々に徐々に現代に蔓延しているステ
      テコのイメージを変換していきたいです。

                         (次回 「池田哲也さんとの対談(2)」に続く)

2008-02-19

vol5.設立前の出来事

寒々しい冬の曇り空の下、所長は全くまぶしくもないのに、まぶしそうに眼を細め
ていた。所長は今、先日の藤間 袴(とうま はかま)とのやり取りを振り返り、ヘンな
言葉使いで思わず声を荒げてしまった未熟な自分に対して猛烈に恥ずかしさを感
じていた。 「藤間が不安に思うのも無理ないか。。大口叩いている私でさえ、つい
最近まで決意を固めきれずにいたのだから。」
所長はやがて細めていた瞳をそっと閉じ、研究所が設立されるほんの数週間前の
出来事を思い出しはじめた。

―当時の所長はまだ(株)アズ本体に在籍し、間近に迎えた研究所OPEN準備に
追われつつも、心のどこかでまだ決意を固めきれず悶々とした日々を過ごしていた。
そんなある日のこと、(株)アズにクレープ肌着の取材の申し入れが来たということを
所長は小耳に挟んだ。申し入れてきた相手を詳しく確かめることもせずに、繊維系
業界新聞からの取材と思い込んだ所長は、もうすぐOPENされるステテコ研究所を
PRする絶好のチャンスとばかりにその場に臨んだのだが、会話が始まって数秒と
経たない内に、これが単なる取材などでは無いということに気付いたのであった。

それは、服飾評論家として御活躍されている池田哲也さんとの出会いであった。(続)

2008-01-29

vol4.所長の告白

藤間 袴(とうま はかま)。埼玉県春日部市牛島出身。彼女は7人兄弟の末っ子と
して生まれ、そして、秋の七草の一つ【藤袴(ふじばかま)】に因んで名付けられた。
今、彼女は一週間前の出来事を振り返っていた。所長に対して思わず自分の疑念
を口にしてしまったあのときの事を...

「所長はステテコを世界へだの何だの言って、こんな研究所まで立ち上げておいて、
  けど、本当は何の計画性も無い、勢いだけなんじゃないですかっ!?」

本心では自分の疑念を強く否定してもらえることを期待していた彼女にとって、その
時の所長の返事は衝撃的であった。

「トウマ、君の言う通りだ。」
「え、ええっ!」
「確かに私には君を納得させられるような大した計画性も無いし、はっきり言わせて
もらって、ほとんど勢いだけだ。」
「え、ええぇっっ!!」
「君が驚くのも無理ない。私も今、再認識することで少し驚いているくらいだ。」
「・・・・・・」
「モチロン、私もこんなにまで計画性が無いままにこの研究所設立を進めていいもの
なのか、一時期 真剣に悩んだことはある。」
「じゃぁ、じゃぁなんで その時に中止にしなかったんですか!?」
「それでも、やらなあかんと思ったからやんか!計画性は無くても、成し遂げたいこと
 はある。とにかく動き出してみるべきだと思ったからじゃねぇか!このやろぅ!」

関西人?江戸っ子? 熱くなった所長の言葉使いはヘンだった。(続)

2008-01-22

vol3.凍りついた瞬間

所長への懐疑的な視線の送り主、それは研究所員の一人、藤間 袴(とうま はかま)
であった。

WOMAN 80.JPG

彼女はデザイン・アート系を担当しており、その個性的な名前、キラリと光る感性、
そして誰よりも冷静な物腰から所員からも一目を置かれている存在である。
実は彼女は以前から所長に対し、ある一つの疑念を抱いていたのだが、『まさか、
そんなはずはない』と自分に言い聞かせることでその思いをこれまで何とか胸の
内にとどめ続けてきたのであった。しかし、研究所設立以来、口を開いては途方も
ない夢やとりとめもない事ばかり言っては騒いでいる所長を見続け、彼女の我慢も
もはや限界に達していた。

「しょ、所長っ!」
さすがに藤間の声のトーンがいつもとは違うことに気付いたのか、所長はやや驚いた
ような表情で振り返った。
「ん?どうした?トウマ」
「所長はステテコを世界へだの何だの言って、こんな研究所まで立ち上げておいて、
 けど、本当は何の計画性も無い、勢いだけなんじゃないですかっ!?

設立以来、研究所内の空気が初めて凍りついた瞬間であった。(続)

2008-01-15

vol2.視線

steteco.com設立から早や1週間が経とうとしていた。無論、その間取材の申し
込みなどは一切無い。 しかし、所長はそんなことを気にする様子もなく、今日も
ステテコについて研究所メンバーと談笑しているのであった。

「え!所長もステテコは社会人デビューなんすか?」 
「まぁね。うちの父親が愛用していたので存在は知ってたけど、どういう機能性をもつ
モノなのかというのはアズに入社するまで知らなかったからね。 これからはこの
素晴らしい機能性を世に広めていくのも我々の重要なミッションの1つだよ!」
「でもそれってなかなか険しい道のりだと思うんですよね。。
あァ!もしかして所長には既にお考えの秘策が!?」
「ん?まぁ、そんなところかな。」

とりとめもない会話が続く中、所長は自分に向けられている鋭い懐疑的な眼差し
の存在に気付くことは無かった。(続)

2008-01-08

vol1.steteco.com誕生

2008年1月8日 その研究所は人知れず誕生した。

「幾多の紆余曲折を経てついにsteteco.comを立ち上げることが出来ました。
所長あいさつでも想いを語らせていただきましたが、これから私達はステテコ
研究において常に時代の最先端をリードし続けたいと考えています。 
目標は、世界ですね。 そう、日本における単なる再興にとどまるのではなく、
グローバルに向けた挑戦も私達は視野に入れて邁進していく所存です。
えっ、自信ですか?? モチロン、ありますよ!」

まだ世間が平穏な正月休みムードから抜けきっていない中、ようやく設立にこぎ
つけることが出来たばかりの研究所内で、いつの日か取材を受けることを夢想し
ては一人で勝手に盛り上がる所長であった。

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