(以下 青木先生=青木 所長=所長)
所長: では、風俗史的見地にたったステテコの進化というのはどのような
ものなのでしょうか?
青木: ステテコの源流ともいえる1枚の布を紐で結び合わせる形態の股引
は室町時代頃からみられます。江戸時代頃までの股引は下着兼
アウターという存在。やがて明治時代になり、西洋の文化が日本に
入りだしてきてから日本の下着も大きく進化していきます。
所長: ステテコの進化においても洋装の影響は受けているということで
しょうか?
青木: その通りです。股引が洋装の影響を受けズボン風に進化したのが
"ステテコ"と言えます。
所長: つまり、ステテコは元々日本にあったものが明治時代に西洋文化と
融合して日本でオリジナルに進化を遂げたものと言えるわけですね。
青木: そうです。明治15年に井上馨によって鹿鳴館が建てられ洋装文化が
積極的に取り入れられた頃、洋装の下着も入ってきたのですが、
一般の人にはあまり普及しませんでした。同じように洋装の影響を
受け、日本でオリジナルに進化したステテコも当初はあまり
普及していませんでしたが、その普及に一役買ったのが落語です。
落語家・三遊亭円遊が裾を尻からげにして半モモヒキを見せながら
「ステテコ云々」と歌いながら踊る芸が当時人気を博したことで
明治時代末期より庶民にもステテコは流行し普及していったと
考えられます。
所長: なるほど、ステテコの進化には洋装文化が関わり、その普及には
日本独特の文化の落語が関わっているんですね。先生、非常に
面白いお話有難うございます。それでは、いよいよ問題の核心について
お尋ねいたしますが、『パンツを穿かずにステテコを直接穿くのが正解
なのか?それともパンツの上にステテコを穿くのが正解なのか?』
この問題について、ズバリ先生はどちらが正しい思われますか??
青木: あくまで、「風俗史学的なステテコの流れから」といった観点で
お答えさせていただきますと、ステテコも、またその源流である
股引も、一般的にはあくまでフンドシやサルマタの上に着用されて
きました。だから、やはり、そのフンドシやサルマタが現代では
トランクスやボクサーブリーフといったパンツに代わられていること
から考えると、パンツの上にステテコを穿くのが正統派ということに
なるのではなかろうかと思います。
所長: 先生、ありがとうございます!
------ 『パンツを穿かずにステテコを直接穿くのが正解なのか?それとも
パンツの上にステテコを穿くのが正解なのか?』
ステテコ研究所への帰路。物議を醸し出したこの深遠なる問題に対し、一定の
答えをようやく手にすることが出来た所長の足取りは軽かった。
(続)