落語とステテコ・前編(月刊ステテコ 1月号)

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©Ryu Itadani
©Ryu Itadani

1月の絵 「 Rakugo 」  by Ryu Itadani

落語とステテコの関係

2021年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願い致します。笑う門には福来るということで、今月の月刊ステテコはステテコと落語の関係についてです。

「ステテコ」の語源は諸説あるようですが、最も有力な説とされているのが落語に由来しているというものです。明治時代になり西洋の文化が日本に入りだす中、日本に元々あった股引が洋装の影響を受けてズボン風に進化して、現在のステテコの形に進化していきましたが、当初は“半股引”などと呼ばれ、あまり普及もしていませんでした。ところが明治十年代、東京の寄席演芸会に、俗に“珍芸四天王”と言われるお笑いのスター達が生まれ、“半股引”を取り巻く状況が変わっていきます。在来の江戸落語を思い切った文明開化風に変革したことで知られる珍芸四天王の筆頭格、三遊亭圓遊。圓遊がまだ二つ目のころ、なんとかして売り出そうと、吉原のたいこももの踊りや、大道芸までも参考にして、みずから工夫して生まれた踊りがありました。手拭で鉢巻をして高座で立ち上がり、着物の裾をはしょって半股引を見せ、「向こう横町のお稲荷さんへ、一銭あげて・・・・、」という下座の唄にあわせて、ステテコテコテコと囃しながら、珍妙な手つきを見せて踊り、途中で並外れて大きな自分の鼻をちぎって投げる身振りで爆笑を誘う、という踊りです。これが“ステテコ踊り”として当時空前の大人気を呼び、のちのちまで“ステテコ”が半股引の代名詞になり、ステテコが流行して普及していくこととなったと言われています。(参考文献: 青木英夫著「下着の文化史」 山本進著「落語の歴史」)

「ごぜん上等すててこおどり」守川周重画。明治13年(1880)刊。当時流行したステテコの圓遊、ヘラヘラの萬橘、ラッパの圓太郎、釜掘りの談志ほかの珍芸連を描いている。(国立劇場所蔵)

 

そんな落語とステテコの由縁もあり、また、ステテコドットコムのテーマである「くつろぎ(relax)」が落語による「笑い」ともつながるという思いもあり、ステテコドットコムでは2010年からこれまで計7回 落語会を開催してきました。

 

第二回 steteco.com落語会に出演いただいた際の 笑福亭たまさん

 

第二回の際は和太鼓奏者の木村優一さん、政本憲一さんに和太鼓を演奏いただきました

 

第五回 steteco.com落語会に出演いただいた際の 桂かい枝さん

 

さて、ここで疑問が湧いてきます。明治時代に端を発する落語とステテコの関係ですが、それは現在も続いているのでしょうか?現在活躍されている落語家の方は今でも本当にステテコを穿いていらっしゃるものなのでしょうか??ステテコドットコムではこの度、お笑いコンビ・放送作家・ピン芸人としても活躍後 2011年に落語家に転身された桂三度氏に落語とステテコの関係の現状についてお聞きする機会を頂きました。

(次回、~落語とステテコ②~に続く)

 

 

 

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