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研究本部 開発日誌

モモヒキを深堀りする。「朝日真先生との対談(2)」

文化服装学院の文化祭前の賑やかな校舎をすり抜けて、エントランス付近で待っていると、ボーダーシャツ姿が爽やかな朝日先生が現れた。

朝日 真先生プロフィール】 

文化服装学院、専任講師、専門は近現代西洋服飾史、20世紀ファッション史 

早稲田大学卒業後、文化服装学院服飾研究科にて学ぶ。 著書に文化ファッション体系『西洋服装史』『20世紀ファッション』共著、研究論文に「近世以降における若者の反抗行動とファッション」「男子服における襟の変遷と考察」など。文化出版局『装苑』などファッション誌へ多数寄稿している。 

 

文化服装学院のとある会議室にて

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(以下 朝日真先生=朝日 、所長=所長)

朝日:早速ですが、本日はモモヒキについて伺いたいという事でしたよね。

 

所長:そうなんです。 実は、今年の新作モモヒキの話をしていたのですが、モモヒキについて、もっと詳しくなりたい! 歴史を知りたい! と言う話になりまして。。。先生にご教授いただきたくご連絡致しました。

私ども、ステテコ研究所では、「ステテコはモモヒキの変形である」と考えておりまして、室町時代に出現したモモヒキが今の形になったのは明治時代に西洋文化の影響を受けたことが大きな要因としていますが、朝日先生はどのようにお考えですか?

 

朝日:私は下着を専門に研究をしているわけではないので、分かる範囲のお答えになってしまいますが、私も確かに今のモモヒキの型は明らかに西洋文化の影響を受けたものだと考えます。

そもそも19世紀後半頃からの西洋の男性下着はモモヒキ型が多かったのです。

 

所長:ほ、本当ですか?

 

朝日:19世紀後半〜20世紀初頭まで、オールインワン(上下が繋がった下着)や、セパレート型ではあるが上下コンビネーションの下着が多く、その下半身の部分はいわゆるモモヒキの型になっています。

 

所長:西洋の下着といえば、その頃からトランクスやブリーフのような形だったのではないのですか??

 

朝日:いえ。ヨーロッパでもトランクスが現れるのは20世紀に入り、1920年代頃からです。そしてブリーフが現れるのは1930年代頃からです。

 

所長:そんな最近のことだったのですね!

 

朝日:日本の室町時代からあるモモヒキの原型とされるものは、股下が縫われておらず、現代のモモヒキとは構造が少し違いますよね。この「股下を縫う」という感覚は西洋から持ち込まれたものだと思うのです。つまり、股下が縫われている現在のステテコやモモヒキの形が日本で完成したのはやはり、明治時代になって入ってきた洋装文化の影響を受けてからだと考えます。

 

所長:なるほどなるほど。ちなみにですが、ヨーロッパにおける男性下着の丈の長さにはどういう流れがあったのでしょうか??

 

朝日:まず、ひとつ、現代の常識とは異なる重要なポイントが、15世紀頃から19世紀初頭までは貴族階級の男性の公式服は半ズボンだったということです。

 

所長:ええぇっ!上流階級の公式な服装が長ズボンではなく、半ズボンだったのですか!!

 

朝日:はい。その時代は、労働者階級の服装が長ズボンの時代でしたので、半ズボンは「自分たちは働かなくても良い身分だ」ということの象徴だったのではないでしょうか。

 

所長:働かなくても食べていける、機能的ではない服装ということですね... そう言われると日本でいうところの十二単も同じような意味合いもあったのかもしれませんね。

 

朝日:そうですね。ところが、19世紀初頭頃からイギリスを発信源として上流階級もズボンの丈が長くなっていきます。それにつれて、下着の丈も長くなっていったと思われます。

 

所長:西洋において丈の長い下着が誕生していった理由って他になにかあったのでしょうか。

 

朝日:うーん、はっきりした理由となると難しいですが、19世紀までは生地は布帛が中心だったのですが、ニット、編み地を使うようになって服装自体が肌に触れて身体にフィットする形になっていくので、自然と下着の丈もフィットするよう長くなっていったのではないでしょうか?

 

所長:服装や下着は気候風土だけではなく、その時代の文化や時代背景と密接に関係しているんですね。下着の歴史って面白いですね。

 

朝日:そうですね。ただ、下着の歴史はすごく不透明な部分が多いんです。

過去の文献を読んでいてもあいまいに書いてあるものが結構あります。それは、下着は消耗品なので、ほとんど実物が残っていないことや、下着姿の絵もほとんどない事が原因だったりします。

 

所長:確かに古い絵を見ていると、服を着ているか、裸婦かで、下着を着ている絵って見ないですね。

 

朝日:だから言い訳ではありませんが、そうだと思いますよって憶測の部分も結構出てきてしまうんです。

 

所長:なるほど。でも逆に言うとその想像を膨らませる余地が大きいというのも下着の良さかもしれませんね。いや、変な意味で言ってるのではありませんよ!

 

朝日:(苦笑)。あと、下着の歴史を全体的に見て興味深いのは、西洋では下にあった下着が上(前面)に出てくるということが服装の歴史において多く見られることです。

例えば、キャミソールドレス、Yシャツや、Tシャツなど、もともとは下着だったものが上に出てきたものです。

 

所長:Yシャツが下着だったんですか!?

 

朝日:そうなのです。Yシャツの後ろの割れて長くなっている部分は下着だった名残だといわれています。あの長い部分を下に巻き込んで下着として使用していたようです。Tシャツも1950年代ぐらいまではあまり外に出して出歩くものではありませんでした。今では普通に出歩きますけどね。

 

所長:以前は下着だったものが、時代の変化と共にアウターとして着用されるようになり、普通に街を歩いていたりするんですね。

そう言われてみれば日本でも数年前から流行しているレギンスやトレンカなど、もともと下に穿いていたものが、前に出てきた形で、西洋の歴史とかぶる部分がありますね。

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朝日:今回のサンプルで見せていただいた、モモヒキやステテコももともとは下着だったものが前に出てきていて似ている部分を感じますね。今の時代にもあったアイテムだと思いましたよ。頑張って下さい。

 

所長ありがとうございます。これから販売にあたってとても勉強になりました。

本日は貴重なお話を本当にありがとうございました!

 

------やっぱり下着は奥が深いねぇ!と繰り返しつぶやきながら、今日の話を所員たちへ早速しようと軽い足取りで研究所への帰路を急ぐ所長であった。

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